通常国会会期末の解散騒動
正直驚きました。
私自身が感じていた永田町の空気は、15日(木)夕方、総理会見前までは解散寸前でした。
その前週は、逆に解散には懐疑的な空気の中、国会は進んでいるように見えておりました。
古い付き合いの報道関係者はどちらか分からないという意見。
一方で、自民党本部の情勢調査情報(※15日に出た議席数ではなく6月の3.4日に調査をしたという情報)がなされたなどの情報などが駆け巡り、今週末にかけては解散と受け止めた各議員事務所関係者が多かったのではないでしょうか。
結果
ご承知のとおりの状況となり、総理が会見して解散しない、、、「今国会での解散はしない」と嚙みながら言い直す場面もあり微妙な空気のなか、解散風は急速に無風になって行きました。
ただ今回思ったのは、なぜこんな台風の様な解散風が吹きパタリと止まったその理由が大事だろうという事です。
- そもそも解散事態考えていなかった。
- 一時解散に傾いたが、考えを変えた。
- すでに異なる時期に解散を見込んでいる。
現在考えれらる状況はこんな所だろうと思います。1と3は同じ意味合いにとられるかも知れませんが、3は衆院任期を一つのカレンダーとして見込み時期に対して調査・情勢の判断という事を想定しています。
いずれにしても、これだけ強い風が吹いたのには首相周辺の意図があり、ただ周りが騒ぎ過ぎたという事では説明出来ないのではないでしょうか。
しかも、解散風が吹き荒れる前の週には、党副総裁・幹事長との会談など解散を連想させる行動があり、実際に解散しない事を発表した翌日には公明党との選挙協力について協定を結ぶなどの動きもありました。
同時に、難航していた選挙区調整も急速に進み、減員区については調整が完了し増員くでの公明党とのイザコザ話も静かになっている様に見えます。
今後、秋口の臨時国会~臨時国会会期末、来年の通常国会~通常国会会期末。24年9月の党総裁任期を控える中で、また違う解散風が吹いて行くのでしょう。
しかしながら、「あの時にやっておけば良かった」という事にならないのか非常に危惧をしております。
何らかの理由で解散風が吹いたという事は、解散を見込んだだろう、という事であり。
何らかの理由で解散風が消えたという事は、解散しない理由が浮上した、という事かもしれません。
つまり、ある種の決断を先延ばしにしたとも考えられるのです。
2009年の政権交代も、2012年の政権交代もそれぞれ解散期待からズレた時期に解散が実施されています。
「決断し・実行する」というのが選挙の中では重要なのかもしれません。